大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和57年(ネ)1465号 判決 1985年4月26日

控訴人

岩出巌

右訴訟代理人

松本剛

村田喬

被控訴人

第一製薬株式会社

右代表者

宮武一夫

右訴訟代理人

清瀬三郎

大房孝次

被控訴人

財団法人厚生団

右代表者理事

山本正淑

右訴訟代理人

前川信夫

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り決す。

2  被控訴人らは各自控訴人に対し、五五三六万三〇〇〇円及びうち五〇三六万三〇〇〇円に対する昭和五二年一〇月八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

4  仮執行の宣言。

二  被控訴人ら

主文と同旨。

第二  当事者の主張及び証拠関係

次に付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから(ただし、原判決一四枚目裏一二行目の「薬事法施行規則四条」を「同法施行規則四八条」と訂正し、同一九枚目表七行目末尾に続き「その余の甲号各証の成立は認める。」と付加する。)、これを引用する。

一  控訴人の当審における主張

1  モルヨドール注入による害作用は、早期障害と後期障害とに分けられる。早期障害は、モルヨドール注入による異物反応であつて、頭痛、発熱、嘔吐、けいれん等の症状をもたらすが、後期障害は、早期障害と病理機序を異にし、(一) 腰痛・下肢放散痛・しびれ感・下肢脱力感等の腰部以下の症状と、(二) 頭痛・めまい・項部重圧感等の症状に大別される。

モルヨドール注入により控訴人に生じた主な症状は、右の後期障害のうち(二)の症状と一致する。

2  モルヨドール注入により控訴人に生じた本件症状の病理機序は、次のとおりである。

モルヨドールが頭蓋内に残存した場合、それは異物であるから何らかの化学的反応によつてくも膜に炎症を起こす。その炎症は、ときには自然治癒力により無害化される一方、リンパ球・白血球等の炎症細胞浸潤によつて脳硬膜にも炎症が波及し、痛覚に関係する神経を刺激し、また、くも膜癒着により脳脊髄液がブロックされてくも膜のう腫を起こし、脳硬膜を圧迫する。本件症状が炎症反応である以上、仮に、現在モルヨドールが頭痛・めまいと関係する部位に残存せず、又は同部位に微量しか存在していないとしても、本件症状を発症せしめることは可能である。すなわち、脳硬膜に付着したモルヨドールの一滴についてもそれがくも膜のう腫を形成している可能性があり、また、かつて右部位に存在して炎症を残し吸収・移動している可能性もあるからである。むしろ、控訴人におけるモルヨドールの残存状態からすれば、右の可能性は極めて強いものといわねばならない。

そして、控訴人は、昭和三七・八年ころから軽度であるが頭痛・逆上感・肩こり等を訴え、昭和四五年七月ころにはその症状の悪化をみたもので、控訴人に注入されたモルヨドールは昭和三七・八年ころには控訴人の頭部に上つていたものと推定すべきであつて、昭和四五年夏の天理市いこいの家病院でのレントゲン撮影の写真に残存造影剤が写つていなかつた旨の控訴人本人の供述によつて、右事実を否定すべきではない。

3  モルヨドール注入後における控訴人の症状経過は、おおよそ請求原因2(原判決二枚目裏二行目から四枚目裏八行目まで)記載のとおりであつて、「じわつと悪くなるような感じ」で進行し、種々の検査にかかわらず原因が判明しなかつた。そして、昭和五二年七月、兵庫医科大学病院脳神経外科夏目重厚医師の診察を受けたところ、同医師は、控訴人の症状からみて残存モルヨドールによるくも膜炎のほかに、心因性の疾患、頸性頭痛あるいは頸部症候群、脳の血管障害等の血管性疾患、脳腫瘍、脳内奇形、耳鼻科的疾患を想定し、長期間検査を重ねて鑑別診断した結果、残存モルヨドール以外に異常を見出さず、癒着性くも膜炎と診断したものであつて、本件症状は残存モルヨドールに基因する以外は考えられない。

二  被控訴会社の当審における主張

1  頭蓋内モルヨドールの残存による頭痛の発症機序については、次の二つの場合が考えられる。

その一は、頭蓋内における髄液の循環が障害されて髄液の貯留を招来するため、脳圧が昂進することによつて頭痛が生じる場合である。大脳内部に存在する左右の側脳室において産出された髄液は、下方へ流れ水道を経て脳表面に到達するが、この水道がモルヨドールによつて閉塞された場合、髄液の流れが障害されて水道より上位に髄液が貯留し、脳圧が昂進して頭痛が起こる。また、脳表面に到達した髄液は静脈中へ吸収されるが、この吸収口はくも膜顆粒群であつて極めて細かい網目構造をしているため、この部位にモルヨドールが付着すると髄液の吸収が妨げられ、脳圧が昂進して頭痛が生じることがある。

その二は、くも膜炎により髄液の流れが障害され、その結果、脳硬膜への圧迫となる場合である。モルヨドールが脳底のくも膜柱に付着して無菌性くも膜炎を発症するときは、その部位に癒着が招来され、癒着部に限局して髄液の流れが障害されて髄液が貯留する。その結果、外側の脳硬膜が圧迫されて頭痛を生じることがある。

2  頭蓋内モルヨドールの残存によるめまいの発症機序は、次のとおりである。

脳底面の小脳橋角部には内耳の神経が存在しているが、その部位にモルヨドールが付着して内耳の神経を圧迫すると、めまいを起こす可能性がある。この小脳橋角部が関係するめまいは回転性のものである。

3  控訴人の頭蓋内に残存するモルヨドールは、脳底の橋槽、小脳の表面、四丘体槽の外側、四丘体槽(二個所)、シルビウス裂(二個所)、頭頂葉表面(二個所)の九個所に存在するが、これらの存在部位から判断すると、モルヨドールは、脳室からの流出路である水道と髄液を吸収するくも膜顆粒群に在しないことは明らかであり、そこに存在したことを示す形跡もない。したがつて、控訴人の頭蓋内に残存するモルヨドールは、頭痛の発生機序の一つである髄液の循環障害を起こすに由なきものである。

また、脳底の橋槽、小脳の表面を除いた右個所に存するモルヨドールは、いずれも脳硬膜に直接に接する位置にないから、もう一つの頭痛の発症機序である脳硬膜への圧迫による知覚神経の刺激の発生原因とはなり得ないものであり、脳底の橋槽、小脳の表面に存するモルヨドールは、脳硬膜に近接しているが、いずれも極めて微量で髄液の循環を障害して頭蓋骨側にある脳硬膜に圧力を及ぼすとは医学上考えられないから、脳硬膜の知覚神経を刺激するものではない。

更に、控訴人のめまいは非回転性のものであるところ、非回転のめまいは、低血圧など血液の流れに関係して発生するものであるから、控訴人のめまいの原因は、頭蓋内に存するモルヨドールによるものではなく、何らかの血管障害によるものと推断するのが医学上妥当である。仮に、控訴人のめまいが回転性のものであるとしても、控訴人の小脳橋角部にモルヨドールが存在していないのであるから、そのめまいとモルヨドールの頭蓋内残存との間に因果関係がない。

4  以上のとおりであつて、控訴人の訴えている頭痛・めまいと本件モルヨドールの頭蓋内残存との間に因果関係がないことは明らかである。

三  当審における証拠関係<省略>

理由

一被控訴人第一製薬株式会社(以下「被控訴会社」という。)の営業、被控訴人財団法人厚生団(以下「被控訴人厚生団」という。)の目的、同被控訴人による年金病院の設置、運営、控訴人の本件症状発症の経緯等及びミエログラフィーのためのモルヨドール注入による副作用(早期障害、後期障害)等に関する原判決理由一ないし三(原判決一九枚目表九行目から三〇枚目裏一〇行目まで及び添付の別紙)の記載の事実関係については、当裁判所の認定も原審の右認定と同じであるから、原判決理由中の右の部分をここに引用(ただし、原判決二一枚目裏一行目から同三行目までを「が見当らないと診断された。」と訂正する。)当審における証拠調べの結果によるも右認定を左右しない。

二因果関係の存否

右認定の事実関係によると、控訴人は、昭和三五年一月年金病院においてモルヨドール三ccを脊髄くも膜下腔内に注入してミエログラフィーの検査を受け、同年四月同病院で椎間板ヘルニヤの手術を受け、同年五月全治退院したが、右モルヨドールは検査後除去されず右腔内に残されたままになつていたこと、昭和三七・三八年ころから控訴人は頭痛、逆上感、首・肩こり等が発症し、その後右症状に加えてめまい、腰背部痛、ふらつき、全身けんたい等の症状も生じ、このため各種の医療機関において診察を受けたが、右症状発症の原因が判明せずに過ぎていたところ、昭和五二年兵庫医科大学病院において夏目重厚医師の診察を受け、同医師は各科各種の検査も行なつた後、レントゲン撮影写真及びコンピューター断層撮影写真により認められる腰椎腔内及び頭蓋内に残存するモルヨドールによるくも膜炎と診断したのである。そして、モルヨドールその他の造影剤を脊髄腔内に注入して行われるミエログラフィーにおいて、術後造影剤を除去せず体内に残存させたときは、少数ながらも後期障害が発症し、その症状が控訴人の右症状に一部類似しているのであり、控訴人の本件症状につき他にその原因となるものが認められないのであるから、控訴人の本件症状の発症について残存モルヨドールが何らかの原因を与えているものと推認することは不合理とはいえないと考える。

当審証人宮崎雄二は、前記兵庫医科大学病院における断層写真(乙第一六号証の一ないし八)で認めうる程度の頭蓋内残存モルヨドールによつては頭痛、めまい等の発症はありえない旨供述するが、原・当審証人夏目重厚は、右断層写真における映像は、撮影当時における残存モルヨドールそのものだけを示すものであつて、その周辺部の状態を明確になしうるものでなく、かつ、腰椎部に残存するモルヨドールが控訴人の本件症状に原因を与えていないともいえない旨供述するのであり、右宮崎証人の供述をそのまま採用することはできない。

控訴人において本件症状が発症したのはミエログラフィー検査を受けた後約二年を経過した昭和三七年ころであつて、この程度の期間経過後にモルヨドールによる後期障害の発症があることは前記引用にかかる原判決理由に記載の症例から明らかである。控訴人本人は、昭和四五年ころ天理市いこいの家病院でレントゲン検査を受けたときには頭部に残存モルヨドールは発見されなかつた旨供述(原審)するが、これは明確な資料や記憶によるものとは認められないから措信できず、他に右昭和三七年ころには未だ頭蓋内にモルヨドールが移動していなかつたこと、ないしは当時の症状が他の原因によるものと認めうる資料も存在しないところである。

三被控訴人らの責任の有無

そこで進んで、本件症状の発症とモルヨドール注入との間に因果関係が存することを前提として、被控訴人らの責任の有無について検討する。

1  被控訴会社について。

控訴人は控訴人に対しモルヨドールによる本件ミエログラフィーが行われた昭和三五年以前の段階において、被控訴会社が、モルヨドールの使用による後期障害の発生を予見できたのに、その使用された場合の副作用について十分な調査、研究等を怠つてその製造販売を中止しなかつたばかりでなく、その販売に際しては、その副作用による障害の発生を可及的に避けるために能書や添付書に椎間板ヘルニアの存在部位確定のための検査のごときに使用してはならない旨を記載するか、又は万やむを得ずにこれを使用するとしても後に抜き取つておくべきことを記載して注意を喚起すべきであつたのに、これらの処置を講じなかつたものであるから、副作用のある右モルヨドールの製造販売につき過失の責を免れることはできない旨主張するので、判断する。

(一)  被控訴会社が昭和六年にモルヨドールの製造販売を開始したこと、昭和三五年当時に被控訴会社が製造販売したモルヨドールの添付書類に抜き取りの指示の記載がなされていなかつたことは、控訴人と被控訴会社との間で争いがない。

(二)  原判決理由三で説示するとおり、① 被控訴会社において開発のうえ昭和六年以来製造販売してきたモルヨドールは、ヨードをけし油に結合させたヨード化油で油性造影剤に属するが、その造影能力は優秀であるものの粘度が高稠であるために脊髄くも膜下腔内で細滴化してくも膜に付着しやすく、また、ミエログラフィー後に再穿刺により吸引除去することは技術的に困難であつた、② モルヨドールを造影剤としてミエログラフィーを施行した場合、その注入直後の早期障害として発熱、頭痛、悪心、嘔吐、神経根刺激症状、排尿障害、知覚障害等の症状があらわれることは夙に知られていたが、いずれの症状も一過性のものであつて三日ないし一週間のうちに回復するところから、右早期障害は憂うべきものではないとされていた、③ そこで、従来、モルヨドールは、ミエログラフィー後に抜き取られずそのまま脊髄くも膜下腔内に残留するに任され、長期間にわたつて流動性を保つたまま右腔内に残留することもあるが、そのうちには細滴化して弱アルカリ性である脊髄液中で水解現象を生じ、脊髄液の循環吸収とともにくも膜突起などの神経周囲機構の異物排泄経路を通じ静脈中に流出し徐々に排泄されるものであるから、それで差し支えないとされていた、④ ところが、牧山友三郎らは、昭和三三年発行の中部日本整形外科災害外科雑誌の「脊髄造影剤に起因すると考えられる脊髄腫瘍(oleoma)の二例」と題する論文(発表は昭和三一年一〇月)において、注入後約二年を経て影像能力を消失したヨード油のけん化顆粒が塊状となつて脊髄腫瘍を形成していた二症例を報告して残留造影剤による後期障害について警告し、鶴海寛治らは、昭和三四年発行の右雑誌の「沃度油ミエログラフィーの後期障害について」と題する論文において、ヨード油注入によるミエログラフィー後五か月ないし三年七か月を経て造影能力を消失したヨード油の分解産物である粟粒大の顆粒により馬尾神経部に癒着性脊髄膜炎を生じていた三症例を報告していた。

しかしながら、<証拠>によると、昭和三五年ころ、一般臨床医師の間において、右後期障害はミエログラフィーの施行例数からみて極めて稀な障害例であつて、モルヨドールに勝る優秀な脊髄造影剤が容易に得られない当時の我が国の状況下では、かかる少数の後期障害例がヨード油ミエログラフィーの臨床的価値を著しく減ずるものではなく、椎間板ヘルニアの手術の必要性が予測される場合に、患者の罹患の部位・程度につき確定的診断を得るため手術前にモルヨドールを脊髄くも膜下腔内に注入してミエログラフィーを実施する必要があるとされていたことが認められ<る。>

(三)  <証拠>を総合すると、控訴人に対し本件のミエログラフィーが行われた昭和三五年四月当時に効力を有していた薬事法四一条八号イ但書、同法施行規則四八条によれば、公定書に収められた医薬品であつてその使用方法が医師に一般に知られているものは、添付文書に使用上の注意事項を記載する必要がないとされていたところ、モルヨドールは、昭和一四年に公定書である第五薬局方に収載されてからは継続的に公定書に収載されていた医薬品であつたから、医師としてはミエログラフィーのためにモルヨドールを造影剤として使用する場合の注意事項については熟知していたと推認できるし、また、昭和三五年当時、注入されたモルヨドールについては日時の経過とともに吸収排泄されるものであり、モルヨドールによる早期、後期障害防止のためこれを除去しようとすれば、残存モルヨドール探索のためのレントゲン線使用による患者及び施術医師のレントゲン線被曝の危険、粘稠度の高いモルヨドールを注射針で抜去することに伴う技術的困難及び患者の苦痛を考慮すると、あえて注入されたモルヨドールを抜去すべきものではないとするのが臨床医師一般の認識であつたことが認められる。

以上のとおりであるから、被控訴会社が昭和三五年ころにモルヨドールの製造販売をなし、その販売に際し能書や添付書に控訴人主張のような記載をして注意をしなかつても(ママ)、未だもつて被控訴会社が当時における医療の学問的技術的水準に依拠せず、モルヨドールによる副作用等に対する注意義務を怠つていたとはいえず、また、薬事法の諸規定に抵触するところもないのであるから、その製造販売につき過失があつたものということはできない。

したがつて、控訴人の右主張は採用することができない。

2  被控訴人厚生団について

控訴人は、右被控訴人の被用者である医師斉藤哲治(以下「斉藤医師」という。)らに幾多の診療上の過失があつた旨主張するので、これらの点につき順次判断する。

(一)  控訴人は、椎間板ヘルニヤの存在部位確定のためには臨床神経学的検査等によつても十分これを確定することができるのであつて、後期障害を発生させる危険のあるミエログラフィーを行うことは慎むべきであるにもかかわらず、斉藤医師が控訴人における椎間板ヘルニヤの存在部位確定のため安易にモルヨドールによるミエログラフィーを行つたものであるから、同医師に過失がある旨主張するので、検討する。

<証拠>によると、医師の間でも椎間板ヘルニヤの手術に関するミエログラフィーの実施については、造影剤による副作用を慮つて極力これを行うことを避け、できるかぎり神経学的検査等によるべきであつて、たとえミエログラフィーを行わず手術した結果神経学的検査等によつて推定した部位と異なる部位にヘルニヤの存在が判明するような場合が生じても、その部位を更に切開して手術する方がミエログラフィーによる副作用に起因する障害よりも患者に与える害が少ないとする見解がある一方、ミエログラフィーを行わずにヘルニヤの罹患部位・程度を完全に確定することは困難であり、手術した結果推定部位と異なる部位にヘルニヤが存在していた場合には、更にその部分の切開をせざるを得ず、その方がミエログラフィーの副作用による障害よりも害が大きく、患者に対する手術侵襲をできる限り必要な椎間板にのみ限定する目的で一応手術の必要性が予測される場合には患者の罹患の部位・程度につき確定診断を得るため手術前に必ずミエログラフィーを実施する必要があるとする見解が存するが、昭和三五年当時における一般臨床医師の間においては、脊髄腔内に注入されたモルヨドールの残存による後期障害についての認識は少なく、後者の見解が支配的であつたことが認められる。

右の事実に前記1(二)で説示したとおり昭和三五年当時モルヨドールが相当安全な造影剤と考えられていたことにも照らすと、一応手術の必要性が予測される場合に手術部位の確定診断のためにミエログラフィーを実施するか否かは当該医師の経験、医療に対する見解に応じた医師の裁量に委ねられている事柄とみることができる。そして、原判決理由二1で説示するとおり、斉藤医師は、控訴人の症状から罹患している根性座骨神経痛の原因が椎間板ヘルニヤにあると診断して脊髄牽引及び徒手矯正術の療法を施したが、症状が好転しなかつたのでヘルニヤの摘除手術を要するとの判断に至つたものの、控訴人の場合、臨床所見からは右ヘルニアが第四腰椎と第五腰椎との間にあるのか、第五腰椎と第一仙椎との間にあるのか明らかにすることができなかつたので、右ヘルニアの存在部位を確定するためモルヨドール三ccを腰椎穿刺により控訴人の脊髄くも膜下腔内に注入してミエログラフィーを行つたものであるから、これをもつて当時の医療の一般的水準に照らして医師としての不適切な行為ということはできない。

したがつて、控訴人の右主張は採用することができない。

(二)  控訴人は、ミエログラフィーを行つた場合には術後直ちにモルヨドールを抜き取つてその残留による後期障害の発生を防止すべき注意義務があつたにもかかわらず、斉藤医師において右抜取を怠りそれを控訴人の脊髄腔内に残留するに任せた過失があつた旨主張するので、検討する。

原判決理由二1で認定するとおり、斉藤医師によつてなされたミエログラフィーの際に控訴人の脊髄くも膜下腔内に注入されたモルヨドールは除去されずに右腔内に残されていたけれども、前記1(二)で説示したとおり、右のミエログラフィーが行われた昭和三五年当時、脊髄くも膜下腔内に注入されたモルヨドールをミエログラフィー後再穿刺により吸引除去することは技術的に困難であり、また、ミエログラフィーによる後期障害例はミエログラフィーの施行例数からみて極めて稀であつたため、右のように注入されたモルヨドールは長期間にわたつて流動性を保つたまま右腔内に残留することもあるが、そのうちには細滴化して弱アルカリ性である脊髄液中で水解現象を生じて脊髄液の循環吸収とともにくも膜突起などの神経周囲機構の異物排泄経路を通じ静脈中に流出し徐々に排泄されるとして、一般臨床医師の間で、モルヨドールはミエログラフィー後に抜き取られずにそのまま脊髄くも膜下腔内に残留するに任されていた。

してみると、斉藤医師が控訴人に対しミエログラフィーを行つた後にモルヨドールを抜き取らずにその脊髄腔内に残留するに任せたことをもつて医師として不適切な行為ということができず、この点について同医師に過失があつたとする控訴人の右主張は採用することができない。

(三)  控訴人は、昭和三五年当時すでに抜取可能な造影剤としてマイオジールが存したのであるから、斉藤医師においてこれを使用して後期障害の発生を防止すべき注意義務があつたにもかかわらず、これを使用しないでミエログラフィー後における抜取が技術的に不可能であるとされていたモルヨドールを控訴人に対し使用した過失がある旨主張するので、検討する。

<証拠>を総合すると、マイオジールはヨードをエステルの基剤に溶解したエステル性脊髄造影剤であつて、従来使用されてきたモルヨドールなどの油性造影剤とは異なり、粘稠度が低くかつ刺激性の少ないものとしてイギリスのグラクソ社で開発され、我が国では昭和三四年ころから使用されはじめ、粘稠度が低く刺激性が少ないので注入しやすく、また、モルヨドールなどの油性造影剤と異なり吸引して体内から抜去が可能であつたので次第に多用されるようになつたが、控訴人に対し本件ミエログラフィーが行われた昭和三五年四月当時、マイオジールは、モルヨドールに比して相当高価であつたため、医師の間では一般に使用されず医学部附属病院など一部で使用されていたにすぎず、斉藤医師の勤務していた年金病院においてもミエログラフィーはすべてモルヨドールを使用して行つていたこと、のみならず、その後において安全な造影剤と考えられていたマイオジールがモルヨドールに比して注入後に患者の頭部に上がりやすく、また、完全にこれを抜去することが不可能であることが判明し、昭和五六年ころ、我が国においてマイオジールの残存が原因ではないかと疑われる副作用報告、医療紛争が起き、更に、脳、脊髄造影剤としてすぐれた効能をもつアミパークが発売されたため、マイオジールの販売が中止されたことが認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

そうすると、斉藤医師が昭和三五年四月当時に控訴人に対しマイオジールを使用せずモルヨドールを使用してミエログラフィーを行つたことのみをもつてしては未だ同医師に過失があつたものということはできず、同医師にその点の過失があつたとする控訴人の右主張も採用することはできない。

(四)  控訴人は、控訴人が昭和四七年ころから再三にわたり年金病院を訪れて本件症状が残留モルヨドールによる後期障害ではないかと訴えて治療を求めていたのであるから、斉藤医師をはじめとする同病院の勤務医において改めて控訴人に対し精密検査を行い一部なりとも残留造影剤を抜き取つてその頭部への移行を阻止して症状の進行を阻止すべき注意義務があるにもかかわらず、右処置を怠つて放置したまま症状を悪化させた過失がある旨主張するので、検討する。

原判決理由二4ないし6で認定するとおり、控訴人は、① 昭和四七年一月二六日、主として背中のだるさ、鈍痛を訴えて年金病院整形外科を訪れ、橘医師の検査・診察を受けて特別異常はないと診断されたが、その際の第二腰椎を中心としたレントゲン写真撮影によりモルヨドールが脊髄腔内に残存していることが再び確認され、② 昭和四九年一月二九日、主としてめまい、頸部の痛み、腰背部の痛みを訴えて右病院整形外科を訪れ、神経学的検査を中心とする診察を受けたところ、神経根刺激症状や知覚異常は見当らず正常であるとの診断を受けたが、その際の腰椎と頸椎のレントゲン写真撮影により腰部の脊髄腔内に前記昭和四七年一月のレントゲン写真撮影の際と同様の部位に同様の状態でモルヨドールが残存していることが再確認されたものの、頸部の脊髄腔内にモルヨドールが残存していることまでは確認されなかつた、③ その後、自己の症状がモルヨドールの残存により発現しているのではないかとの疑いを抱くようになり、斉藤医師に勧められ、同年六月二八日、頭痛やめまいを訴えて右病院脳外科に赴いて検査・診察を受け、格別異常がないと診断されたが、その際の頭部のレントゲン写真撮影により頭蓋内にモルヨドールが不規則な点状となつて存在することが確認され、④ 同年七月四日、右病院脳外科で脳波検査を受けたが、異常が発見されなかつた。

そして、原審証人斉藤哲治、同渡辺健児の各証言によると、年金病院の橘医師、斉藤医師は、昭和四七年及び昭和四九年に控訴人を診察した際に控訴人の脊髄腔内又は頭蓋内にモルヨドールが残存していることを認めたが、控訴人の訴えている症状が右の残存モルヨドールによるものであると確認する方法もなく、また、ミエログラフィー施行後すでに一〇年以上も経過してから残存モルヨドールによる頭痛が起こるということは考えられないとして、結局、整形外科的には異常なしと診断し、更に右の残存モルヨドールを除去することは控訴人の生命身体に非常な危険を及ぼし技術的にも不可能であると判断して、控訴人の求めにもかかわらず残存モルヨドールを抜き取る処置を講じなかつたものであることが認められる。

<証拠>によると、ミエログラフィーのために脊髄腔内に注入されたモルヨドールは、一〇年以上も可動性を失わない場合もあるけれども、通常の場合は注入後数か月で可動性を失うこと、控訴人の場合は、遅くとも昭和四七年ころ以降においては、残存モルヨドールが主として腰部の脊髄腔内にのう腫型ないし点状付着型に存在し、極く一部が頭蓋内に点状に存在し、いずれも可動性が失われていること、控訴人の本件症状を残存モルヨドールによるくも膜炎と診断した夏目医師においても、残存モルヨドールを除去する方法をとらず、薬等による対症療法により治療していることが認められる。

以上の各事実及び引用にかかる原判決理由中の控訴人の本件症状の発症、推移からして、控訴人が年金病院に再度診察を求め、レントゲン撮影写真によつて残存モルヨドールが発見された昭和四七年ころ以降において、控訴人の体内において残存モルヨドールが頭部に移動して特段の悪影響を与えたものとは認められず、更に残存モルヨドール抜去の技術的困難性を合せ考えると、控訴人が主張するように、昭和四七年ころ以降に控訴人を診察した年金病院の医師らにおいて、残存造影剤を抜去し、これが頭部への移行を阻止すべき義務があつたとまでは認められず、控訴人の右主張は採用し難い。

(五)  以上のとおりであるから、被控訴人厚生団の被用者である斉藤医師らに診療上の過失があつた旨の控訴人の主張はいずれも失当である。

したがつて、斉藤医師らに控訴人主張のような診療上の過失が認められない以上、その使用者である被控訴人厚生団には控訴人が被つた損害を賠償すべき責任がない。

四そうだとすると、残存モルヨドールと本件症状の発症との間に因果関係を認めうるとしても、なお被控訴人らに対して損害賠償責任を問うことはできないというほかなく、これと結論を同じくする原判決は結局相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(石井 玄 高田政彦 辻 忠雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例